1955-05-23 第22回国会 衆議院 運輸委員会 第11号
○篠田説明員 今ここに数字は持っておりませんが、洞爺丸以後に旅客船には全部救命胴衣の増し積みをしております。それから第三宇高丸の例がここにございますから簡単に申し上げますと、短艇として救命浮環と救命胴衣と全部合せまして百八十二人分でございます。
○篠田説明員 今ここに数字は持っておりませんが、洞爺丸以後に旅客船には全部救命胴衣の増し積みをしております。それから第三宇高丸の例がここにございますから簡単に申し上げますと、短艇として救命浮環と救命胴衣と全部合せまして百八十二人分でございます。
○篠田説明員 そうでございます。これは実際に私どもの方で定員の数と同一数というので最大搭載人員に、実際の場合には子供が乗りますから一割程度増せばいいという話もあります。これは遠洋を走る旅客船の場合でも、最大搭載人員にあと子供の分を見まして一割くらい増しておるのが普通の状態でございます。しかしながら非常に短時間の場合を考えますと、おのおの船内にちゃんと定員に割り振って、部屋の定員が幾らというところにその
○篠田説明員 それではちょっと御説明させていただきます。実は現行の法規では短艇、伝馬、救命浮器、救命浮環、救命胴衣、こういったものを全部合せまして定員数だけを持てばいいというのが、現在の規定でございます。それでその中でなお救命胴衣は、少くとも全定員の三〇%持てというのが現在の法規でございます。しかしながら私どもの方といたしましては、そういう方法では非常にまずいものですから、先般の洞爺丸事件以来——今
○篠田説明員 この船の復原力でございますが、復原力の喪失の中で、いわゆる自由表面、専門語でフリー・ウォーターといいますが、フリー・ウォーターというものがございまして、このフリー・ウォーターは、場所が狭ければ、そのためにGMの喪失も非常に少いわけでございます。それでどんな船でも全部船の中に自由表面ができれば、ひっくり返るわけであります。それで当時の破口の大きさで、大きくフリー・ウォーターに影響するように
○篠田説明員 御承知のように第三宇高丸が紫雲丸の右舷の汽罐室のところで、ちょうど三十五番というところでございまして、ここがちょうど汽罐室とそのあとにあります車軸室にかかるところでございますが、ちょうどビルジ・スチール下方が一メートル半から破れ、車両甲板で三メートル以上の破口がございまして、ずっと上まで裂けております。それで浸水が汽罐室ばかりでなく、それに隣接したところにも入りましたので、フリー・ウォーター
○説明員(篠田寅太郎君) まだ引き揚げてみませんと詳細はわかりませんが、事実脱線したものがあるということは、ダイヴァーを入れて一部見ておりますので、わかっております。それからあの船は、御承知のように、船の車両を積んでおりますところのサイドがずっと壁になっております。それから中にもずっと柱が立っておりまして、その狭い貨車の入るスペースだけ別に二列になっておりますので、その中の範囲内で移動するだけで、完全
○説明員(篠田寅太郎君) 洞爺丸の事故の場合の緊締具がどうであったかということを、その後詳細に調べたわけでありますが、船が大体四十五度以上かしぎまして脱線をしております。それで、緊締具ははずれているのがございますが、なお上部で貨車がひっくり返ったまま天井にぶら下っておるというようなものがございまして、緊締具の張力は一本が約十トンであったのであります。それで、常時は片面で三本ずつ、両側で六本かけておるのでございますが
○説明員(篠田寅太郎君) 中村船長の経歴を簡単に申し上げます。中村船長は大正八年十二月に国鉄の職員になっております。それから宇高航路の船長になりましたのは昭和十七年の七月でございます。そうして今回の事故を起しました。年齢は五十四歳でございます。なお家族数、本俸のことは一応今わかっておりませんので、なお調べましてから後ほどお知らせをいたしたいと思います。
○篠田説明員 船員の活動についてでございますが、第三宇高丸が紫雲丸と衝突をいたしまして、この船はぶつかりまして食い込みますと、すぐ後進をかけますとその反動でぼこっと沈むものでございますから、第三宇高丸は全力を上げて般の沈むのを一分でも延ばそうということで、アヘッドをかけまして船の分離を避けるという努力をいたしました。同時に紫雲丸もまた、私たちとしては今後遭難船員を一々調べまして、いろいろの行動を、これは
○篠田説明員 船が大きくなりますれば、それより小さいものが当りますれば破損も小さくて、沈没までに比較的時間があるのであります。ところが大きな船でも、たとえば魚雷を食うように突然大きな破口をあけますと、どうしても早く沈む。要するに船の大きさとそのとき生じた破口との関係にあるのではないかと考えている次第であります。 なお今度の場合には機関室の後部でございまして、ちょうど次の区画も衝撃によって穴があけられて
○篠田説明員 先ほどお話にありましたように、航路を西と東に分けまして、東の方を上り便に、西の方を下り便ということに分けて航行するという措置をとりまして、衝突の事故をなるべく避けるという方法を講じておったのでございますが、残念ながら船長の錯誤等もあったように見受けられるのであります。なおその点は詳細に調べなければならないのでありますが、今後そういった錯誤を起さないような指導、それから航路自身を大きく開
○篠田説明員 あの船は御承知のように、当時占領下でございましたから、進駐軍の許可をもらつてつくつたことは事実でございまするが、トン数を減らすために穴を明けたという事実はございません。これは本船をつくります前に、青函航路に貨車航送をいたしますためにつくりました翔鳳丸という船がございまして、過去ずつと三十数年間使つております。あの構造よりも今度の方がさらに安全性を増すようにはしてあるのでございますが、過去
○篠田説明員 もちろん船は、現在の船の構造規定その他で、そういう重要部分に水が入るということは許されませんし、そういう構造にはなつておりません。しかしながら実際にものすごい荒天時になりまして、どういう現象が起つたか、それによつてどういうふうな結果になつたかということは、現在までの情報ではわかりませんで、なお今後こういつた問題は専門の技術の方々がおそらく御調査になると思いますので、現在のところ今その点
○篠田説明員 青函航路は御承知のように気象の関係以外に、現在機雷の危険にもさらされておりますので、船員の訓練に対しましては徹底を期する方針で進めております。それでもちろん荒天時の場合に最も必要なのは防水訓練等でございますが、そのほかに防火、避難、そういうような訓練を毎週一週間に一回は実施しておる。なお私の方は戦後に米軍の輸送をいたしておりましたので、この点については終戦以来訓練は非常に強化されておる
○篠田説明員 船の動けるか動けないかという問題になりますと、風の条件、性質、そのときの海上の波の模様、あるいは潮流、気圧配置がどういうふうになつておるか、非常に多種多様の要素を含んでおりまして、これを一つの規程で動けるとか動けないとかいうことは、とうていできない相談なのであります。われわれ現在の人間の力で、一つの法規で船を動ける動けないというものを書こうとしても、相当の科学者が日本にはたくさんいるのでございますが
○篠田説明員 それは少し言葉の足りなかつた点もありますので、なお御説明を申し上げます。船を動かす以上は、ある一つの一般の会社でもスケジユールを組まなければならないのでありますが、特に鉄道の場合においては、御承知のように陸上の列車との接続その他がありますので、一応ダイヤを作成いたしまして、この船はこの便を受けろという、一応の指令は出ておるわけであります、ただこういつた天候、気象、航路障害その他のことによりまして
○篠田説明員 十八吟以後に出る予定になつておりますのは、六便という船がございまして、客便でございますか、これが大雪丸でございます。大雪丸は函館を十六時五十五分に出る予定でありましたが、これはとりやめになつております。
○篠田説明員 その当時十一青函丸が欠航ときまりましたあとにも、船は勅いておるのでございます。青森から出ました第八青函丸並びに、石狩丸が函館の港内に到着いたしましたのが、第八か十七時四十五分、石狩丸か十八億四十分でございます。しかしながらこの船は岸壁がふさがつておりましたので、岸壁に到着することはできませんでした。
○篠田説明員 港内には、御承知のように、いろいろな施設がございまして、先ほども申し上げましたように、船が外にいかりを入れるという場合も、退避をしてちよつと静まるのを待つて出るという場合と、こういう避難をするという場合と、二通りあるわけなんです。避難をする場合、風がある程度強くなつて来ると、外に出た方が安全だということに一応なつておるのでございますが、これはもちろんその調査の結果では、やはり外へ出られなときの
○篠田説明員 これは港外でも一応港内ということにはなつておるのでございますが、一応防波堤外なんでございまして、通常港外と申し上げてもよろしいのでございます。防波堤外に出ていかりを入れるということは、海上の風速が非常に大きいので、天候を見合せてこの地に投錨しておりまして、波を待つてただちに出港するという場合に使う方法と、それから相当しけて参りまして、港内では船腹が輻湊し、また港内で走錨いたす確率が非常
○篠田説明員 去る二十六日の夜半から二十七日の早朝にかけまして稀有の暴風によりまして青函連絡船に非常な大椿事が起りましてまことに残念に思う次第でございます。被害の概況を御説明申し上げますると、青函連絡船は常時十四隻の船を持つております。客船四隻の貸物船十隻という隻数で青函間の輸送を確保しておつたのでございますが、当日旅客船の洞爺丸が夜半に沈没し、そのほか第十一青函丸、北見丸、日高丸、十勝丸の四隻の貨物船
○篠田説明員 原因の詳細についての探究は、先ほど両岡田委員からお話がありましたが、相当今後調査を進めて行かなければならぬのであります。定員の問題につきましては、法律で定められました定員数よりは下まわつた数字でございました。それから貨車の問題でございますが、当時洞爺丸に乗つておりました貨車の数量は十二両であります。貨車が八両と寝台車が一両であります。貨物車が二両、郵便車が一両、それだけ載つておつたのでございますが
○篠田説明員 御趣旨はよくわかりました。これは非常に現在、救助並びに遺家族等の弔意その他に追われておりまして、なかなかまだそこのそういう仕事に直接携わつておる人たちをよく調査いたしませんと、この問題は正確に御返答できません。現在函館には国鉄からも人も派遣しおりますので、よく連絡をとりまして調査し、もちろん今後この問題以外も多々われわれとして反省し、またわれわれとして徹底的に調査をして、今後再びこういうことが
○篠田説明員 この暴風雨当日はちようど休日であつたから、岡田委員のお話では、出ておらなかつたのではないかというお話がございましたが、当日は暴風雨の警報も出ておりましたので、青函鉄道管理局の運航を担当しております海務課長という役目がおりますが、海務課長が直接局へ出ております。 それから乗船させる場合にどうするかというお話がございましたが、もちろんこれは乗船させる前に船長と駅長の方と相談いたしまして、
○説明員(篠田寅太郎君) 船が欠航するかしないかという問題については、これは非常にむずかしい問題なんでありまして、我々もこれを科学的に実は解明したいと思いまして、そういうことも一応考えておるのですが、まだ実際にそういう試験にとりかかつておりませんが、在来非常に長い経験を持ちました船長が大体そのときの判断をいたしまして出航するのでありますが、大体現在の青函航路は、これは実例でございます。海上で大体二十七
○説明員(篠田寅太郎君) お答え申上げます。実は青函航路の風というのは、この台風もさることながら常時非常に風が強いので、我々としては風速をつかむことに実は非常に昔から苦労をしておるわけです。最近各船に全部新しい風速計をつけておるのでございます。それで沈まなかつた船あたりの、恐らくこれは青函鉄道局から入つた情報でございますが、各船からの風速の記録を恐らく生きている船から電話なり何なりでとつて総合した値